2016年3月27日日曜日

価値感

 「価値」とは難しい概念です。
 価値(value)は人(person)、場所(place)、時(time)に依存します。同じポカリスエットでも、渋谷で買うのと、富士山で買うのとでは雲泥の差ということです。

 数学っぽく書くとV = V( person, place, time)ということです。残念ながら、人や場所は簡単に数値化できないので、このままでは数学にはなりません。価値はあいまいな概念です。

 ものの価値はあいまいなものですが、会計をするには数値を決める必要があります。商品の値段が決まると、売り上げが決まり、税金が決まっていきます。ただ、そもそもの価値を数値にする作業にはあいまいさが伴うので、会計にもあいまいさが生じます。1億円の資産でも、見方によっては1千万円になり得ます。
 ・・・会計学は難しいです。

 サラリーマンをやっていると、価値のない仕事をやらされることが多々あります。そういう仕事は、依頼する人にとっては価値がある仕事なのかもしれません。ですが、後から考えるとやらなくてもよい仕事だった、というのがたいていです。価値のない仕事をしていても会社の利益にはならないのですが、どういうわけか、価値のない仕事はなくなりません。

 黒澤明監督の「生きる」という映画があります。お役所的な仕事に対する批判が描かれています。私は、映画と現実は違うと思いつつも、この作品が嫌いではないです。仕事の価値はあいまいなものですが、それでも、やるに値する価値ある仕事があると思います。


 価値のない仕事をさせられていると、価値を生み出せないくらいならいっそ・・・と思うわけです。


2016年3月21日月曜日

やっぱり片付けが大事

 近所を歩いていて廃屋を見かけました。何年も使われていないのか、崩れかけです。本来なら片づけるべきなのでしょう。

 全国的に空家が問題になっていますが、誰のものかも分からない、中に何があるかも分からない空家を片付けるのは大変なはずです。

 片付けは、そこに何があるかを調べることから始まります。状況分析です。散らかっている中身を調べるには、労力が必要です。片付けるという仕事は、モノを作る仕事と同じくらい労力が必要だと私は思います。



 日本経済を活性化させるため、政府は景気刺激策を続けていますが、あまり効果は感じられません。(借金が増えるだけだから、いい加減にするべきだと思う人も少なくないと思います。)経済を活性化させるには、モノの売買を増やす必要があります。ですが、モノが溢れているのだから、購買意欲が低いのは当然です。だったらモノが溢れている状況を改善すべきで、モノをどんどん片付けるべきなのではないでしょうか。空家が片付けば、その土地に新しい建物が建てられます。片づけを促進するために、ゴミ収拾の業界を優遇するとか、モノを廃棄すると減税されるとか、(不法投棄に厳罰とか)、そういう政策は合理的だと私は考えています。

 まぁ、考えているだけでは何も始まらないのですが・・・

2016年3月13日日曜日

ORIGAMI

 私の隠れた趣味の一つに折紙があります。

 紙さえあればできるし、簡単に捨てられて、お手軽です。しかも幾何学的な問題で、奥が深いです。

 折紙にもいろいろな作品がありますが、福山ローズは、見た目が美しく、簡単に折れる割に、あまり知られていないので、お薦めです。

 昨年、アメリカに出張したとき、たまにホテルのチップと一緒に置いておきました。ただの紙なので、後で迷惑にはならないでしょう。

 そんな感じで、私は折紙の数学を考えつつ、イタズラをして遊んだりしてます。

ルールの背景

 教養のある人なら、街中に平気でゴミを捨てたりはしないと思います。ゴミのポイ捨て禁止は一般的なルールです。

 全ての人がポイ捨てをしなかったら街がきれいになるか、というとそんなことはありません。意図的にゴミが捨てられなかったとしても、ゴミが風で飛んで来たり、誰かが過ってゴミを落としてしまったり、ということが起こります。ゴミは誰かが片付けない限りそこにあるので、次第に街は汚れていきます。

 ポイ捨て禁止というルールには、街をきれいにするという意図があるはずですが、そのルールを守っているだけでは、街はきれいになりません。

 かと言って、街をきれいにするために、「ゴミがあったら清掃しましょう」というルールにするのはやりすぎでしょう。

 世の中には、口うるさく「ルールを守れ!」と言う人がいますが、ルールを守っているだけでは、その背景にある目的が達成されないこともあります。大事なのは、盲目的にルールを守ることではなく、目的を達成するために行動することだと思います。(思考を停止してルールだけを順守するのは愚の極みです。)



 余談ですが、私はときどき、道端に落ちているコンビニの袋とかを拾って捨てたりしています。理由は、
 (1)誰かが捨てないときれいにならないから
 (2)風で舞って、自動車の視界を遮ると危険だから
 (3)見た目が美しくないから
です。
 正直、他人に見られていると少し恥ずかしいです。でも、これだけ合理的な理由があると、やらない方が不自然な気がしてきます。曰く、「義を見てせざるは勇無きなり」。

逃げるが価値

 私が新しいことを始めるときには、注意していることが2つあります。

 1つは、行動前に分析することです。「彼を知り、己を知れば・・・」ということです。

 もう1つは、行動後に分析するということです。「やってはみたけれど、うまくいかない」ということは多々あります。どうしてもうまくいかないと分かったら、やめるべきです。「三十六計・・・」ということです。

 私は逃げることは悪いことだとは思いません。いつまでもうまくいかないことをやり続けて泥沼に陥るより、とっとと諦めた方が価値があります。ただ、やめる前には、何が悪いかの原因を分析しておかないと、また同じ失敗を繰り返すことになりますが。

 国の施策や企業の方針でも、大規模に何かを始めるみたいなのがありますが、始めてみてうまくいかなかったらやめるべきだと思います。まぁ、失敗しないように、小規模の実験をして、準備を整えているはずですが。

 要は、「計画して、少し試しにやってみて、うまくいかなきゃ即撤退」、ということです。

リ・スケジュール

 どんな仕事にもスケジュールがあると思います。私がこれまで関わってきたいくつかの開発案件にもスケジュールはありました。そして、それらのスケジュールはしばしば変更されました。

 スケジュールの作成は、たいてい、ある程度役職が上の人、経験を積んだ人の仕事だと思います。スケジュールの変更は、そのスケジュールを作成した人の失敗のはずなんですが、それは置いておきましょう。悪口みたいになるので。

 スケジュールがころころ変わってしまってはスケジュールを立ててる意味がありません。なぜ、スケジュールが変わってしまったか?、その原因をきちんと考えるべきです。

 よくあるのが、日付だけを並べたスケジュールです。「~の会議が*月*日だから、その日までに~をする」みたいなのです。こういうスケジュールは、仕事の中身をまったく考えていないので、うまくいかないことが多いです。
 実際に仕事を始めてみたら、予想外のトラブルがあって、結局、スケジュール変更というパターンです。仕事の内容をきちんと吟味し、それにどの程度のリソース(人、モノ、お金、時間)が必要かを考えないと、スケジュールは立てられないはずです。

 不確かな情報を元にしたスケジュールというのもあります。例えば、受注予測を元にした、開発計画みたいなスケジュールです。経済の先行きなんて誰にも分からないので、受注予測には変更可能性が十分にあります。こういうスケジュールは受注予測が変わった瞬間に破綻します。受注予測を無視しろとは言いませんが、変更可能性は考慮すべきです。それよりも、開発能力、生産能力など確定している状況をベースにスケジュールを立てた方が良いのは当然だと思います。

 うまくいくことしか想定していないスケジュールも失敗します。繰り返しになりますが、仕事の中身をきちんと吟味して、ネックになるところがうまくいかないときのことも想定すべきです。
 新規開発などでは、想定外のことが起きるので、スケジュールを立てるのが難しいです。スケジュールの後半で想定外のことが起きると必ずスケジュールが遅れるので、できることはどんどん先倒しでやって、想定外のことに早めに気づくようにするべきです。

 スケジュールを立てた後、ほったらかしになっているスケジュールもあると思います。本来は進捗管理すべきです。進捗管理なしでも目標が達成できるなら、それでいいと思いますが、それなら、はなからスケジュールが要りません。無駄なスケジュールを作る必要もありません。
 (ときどきスケジュールを立てることに忙しい人がいますが、スケジュールを立てることは目的ではありません。どんなに完璧なスケジュールを作っても、目的は達成されません。目的達成のために忙しいなら理解できますが、スケジュールを立てることに忙しいというのは理解できません。)


 スケジュールを立てるというのは、単純に日付を決めるという作業ではありません。目標を達成するために、必要な仕事をリストアップして、仕事の内容をきちんと吟味して、それを並べ替えて順序を決めていくのがスケジュールです。スケジュールを立てては変更してを繰り返しているのは、無駄な仕事以外の何物でもありません。しっかり考えないといけないと思います。