2015年9月27日日曜日

物価を上げるには

 先週、消費者物価指数が下がったというニュースが流れました。物価の下落は、物が売れていないこと、経済の停滞を意味します。借金の負荷が増すので、借金持ちにはつらい状況です。

 物価を上げる方法はいくつか考えられます。

 まず、単純に通貨の価値を変えること、いわゆるリフレーションです。「明日から100円を120円にします」とすれば、物価は確実に上がります。経済活動の実体は何も変わりませんが。

 単純に通貨の価値を変えるのは、かなり荒っぽい手法です。もう少しマイルドな手法としては、税金をかけるという手法があります。
 例えば、消費税が2倍になれば、物価は上がるはずです。消費税でなくても、電気、ガス、水道や運輸などのインフラにだけ税金をかけても物価は上がるでしょう。省エネ意識も高まるでしょう。
 ・・・経済活動はさらに停滞しそうですが。

 物価を決めるのは需要と供給です。需要が増えれば、物価は上がります。みんながiPhoneを欲しがれば、iPhoneの値段が上がるという原理です。
 iPhoneのように需要を生み出すものを考え出すのは難しいですが、需要を増やす方法は他にもあります。
 例えば、強制的に既存のものを廃棄させる、古いものには罰金を課す、ということをすれば、買い替え需要が生まれるはずです。他にも、火災報知器の義務化のような方法でも需要を作ることが出来ます。

 需要を増やす代わりに供給を減らすという手もあります。供給を減らすには、生産施設の稼働を減らせば良いはずです。つまり、工場の稼働時間に制限を設けるとかです。
 一見、経済活動が弱まりそうですが、労働者の休日が増えて、新たな需要が発生するという可能性もあります。


 以上のように物価を上げる政策はいろいろあります。何かの政策を進めると、損する人と得する人が出てくるでしょう。だから、どの産業を活性化させるかは難しい問題です。そういう難しい選択は、官僚様や経済学者様が、いろいろ考えているのだと思います。
 素人の私は、ただ好奇心で、こんな感じのことを考えています。


 ところで、物価が下落している原因の一つは、私のような物欲の少ない人間です。給料はもらっているけど、生活必需品以外の消費活動をしない人達です。お金を使わない人が多ければ、経済は停滞します。私も罪悪感を抱いています。かといって、無理矢理お金を使うため、パチンコに行くというのもいいとは思えません。お金を使うのは、難しいです。

 ・・・また、Wikipediaに募金しようかな。

2015年9月20日日曜日

思いは伝わらない

 このブログは、誰かに読んでもらおうという気はあまりなく、私が文書を書く練習として書いています。

 それでも閲覧者がいるかどうかは気になるもので、アクセスされていたりすると、「書く変わり者もいれば、読む変わり者もいるのだなぁ」などと思っています。

 にしても、思いは伝わらないものです。

 自分がうまく書けたと思った投稿にはアクセス数が少ないのに、うまく書けなかった思った投稿にはアクセス数が多かったりします。

 バックグラウンドが人によって違うのだから、思いが伝わらないのは、仕方ないことです。「R=0」を美しい数式と思うのは少数の人だけでしょう (ちなみに一般相対性理論の数式です)。私の思いが、他人と同じであるなんてことは、そうそうありません。

 仕事でも思いが伝わらないことは多々あります。上司が分かってくれない。部下が言うことを聞かない。コミュニケーションは難しいです。

 私はコミュニケーションするときは、思いが伝わらないことを前提に、2つのことを心がけています。1つは、平易な言葉で簡潔に表現すること、もう1つは、こまめに繰り返し連絡をすることです。当たり前のことですが、これを実践することが、思いを伝える最良の方法だと思っています。


 このブログも多くの人が読めるように、それなりに気を使って書いています。書く練習とはいえ、読む人を想定した練習です。苦労は伝わっているでしょうか?

 とにもかくにも、どなたかの暇つぶしになっているのであれば幸いです。


2015年9月13日日曜日

The Making

 近所にお寺があります。
 建物はなかなか凝った作りをしていて、軒下のあたりは、独特の曲線に加工された木材で組み上げらています。一つ一つの木材がどのような形か想像するのは、まるでパズルを考えているようです。

 部品を作るときは、いろいろなことを考えます。
 組み立てたときにどうなるか。頑丈な構造になっているかどうか。見た目が美しいかどうか。

 組み上げられるかどうか、というのも重要です。「部品を作ったけど、形が引っかかって、組み立てられない」なんてことは、よくあります。

 現代であれば、CADを使って製図できますが、このお寺を建てた当時は手書きの図面だったでしょう。コンピュータを使ったモデリングの便利さに感嘆するとともに、手書きをしていた職人の技術に感動します。


 どんな物でも、それが人工物なら、作った人がいます。鉛筆でも、鞄でも、家でも、車でもです。

 どんな人がそれを作っていたでしょうか?
 どんなことを考えて、設計していたでしょうか?
 どのような部品、材料が必要でしょうか?
 どのように加工すれば良いでしょうか?

 物の形にはたいてい意味があります。普段、何気なく使っている物でも、「それを自分で作るとしたら?」という視点で見てみると、見えるものが違ってきます。

 「物を作る」ということに関心を持つのは、エンジニアという職業柄でしょう。私は、ときどき、こういう想像を楽しんでいます。


2015年9月6日日曜日

マウスの修理

 マウスを修理しました。

 5年くらい使っている普通のマウスなんですが、シングルクリックのつもりがダブルクリックになったりと、調子が悪くなっていました。こういうのを「チャタリング」というそうです。

 新しいのを買っても良かったのですが、インターネットで調べると簡単に修理できるらしいので、修理することにしました。

 とりあえずマウスを解体して、中のスイッチを¥120で買ってきた新品に入れ替えると、無事に直りました。古いスイッチを外すのが少し大変ですが、修理自体は30分もかからないです。

 最近の電子機器は複雑で、修理が難しいものも多いですが、マウスくらいだと意外に修理できちゃいます。


 もったいない精神に則り、修理して使うと、地球環境にプラスです。
 新品を買って、市場にお金を供給すると、経済にはプラスです。

 新品を買うか、修理するかはいつも悩みどころです。少しお金に余裕があるなら、お金を使った方が良いのだろうなぁと内心は思っています。

 そうは思いつつも、私はできるだけ修理するようしています。理由は、単にうまく直せたときの達成感が気持ちいいからです。



 江戸時代は割れた茶碗も直して使ったと聞きます。先人に倣って、物を修理して使うのも、悪くないものです。



参考:マウスの修理