2015年12月31日木曜日

今年の終わりに

 2015年の1月から再開したコラム執筆も1年が経ちました。途中、出張等で不定期になったりもしましたが、そういうところは大目に見てください。何事も継続するのは大変なんです。

 少数の読者の皆様、ありがとうございました。私はひねた性格なので、「表示回数が増えても、どうせ実際は読んでいないんだろう。」とか考えていますが、興味を持ってくれた方が一人でもいるというのはうれしい限りです。

 ちなみに、表示回数が一番多いのは、以前に書いたのど自慢の予選会を見に行った話です。確かに検索する人が多そうです。

 意外に多かったのは「エウレカ」というタイトルで書いた数学の話です。一人の人が何度も見た、というわけではなさそうなので、この内容に興味がある人が複数人いたのでしょう。かなりマニアックな内容だと思うのですが、世の中には変な人がいるものです。人のことは言えませんが。

 「少しロマンチックな数学の話」は、そこそこ面白いと思っています。表示回数もちょっと多めで、うれしいです。

 私が好きなMatchbox Twenty関係の内容を何回か書いたのですが、全然読まれてないです。さらに言うと、最初の方の投稿にはプロフィールが書いてあるのですが、これも全然読まれてないです。思いは伝わらないものです。orz
 (なお、Matchbox Twentyの内容は、2015/3/8です。興味を持ってくれる方は、Youtubeで検索してくみてください。)


 こうやってコラムを書いていると、毎週連載するのが、いかに大変かが実感できます。週刊誌の漫画家さん達は本当に偉いと思います。

 目的の一つである作文の練習は、まだまだ継続するつもりですが、毎週の執筆は負担が多いので、来年は減らすつもりです。悪しからず。


それでは皆様、良いお年を。

さよなら、さよなら・・・さよなら。

2015年12月20日日曜日

地上の星に憧れて

 昔、NHKで放映していたプロジェクトXが好きでした。プロジェクトを成功させるため懸命に戦う技術者たちを尊敬していました。

 オリンピックで金メダルを獲るとか、ノーベル賞を獲るとか、そういう特別な業績を残すのは一握りの人々です。目標とするにはハードルが高い世界です。ですが、技術者として懸命に働きプロジェクトを成功させるというのは、目標としてそれほど現実離れしていないと思っていました。

 だから、私は、「懸命に働き、何かのプロジェクトを成功させる」、という目標を持って、今の仕事を選びました。

 会社に入って、一応、技術者として仕事をしていて分かったのは、プロジェクトを成功させるために懸命に戦う人が思ったより少ないということです。

 かつての偉大な技術者達は、昼夜を問わず実験に明け暮れていました。近頃は、36協定とか、労働基準法の規制があるため、長時間勤務は会社に禁止されています。(建て前ですが)

 かつての偉大な技術者達は、大学に押しかけてでも、技術を必死に勉強していました。現在は、インターネットでいくらでも情報が得られる割に、勉強不足の人がいます。(私もまだまだ未熟ですが)

 かつての情熱的な技術者たちの仕事ぶりを基準に考えていると、周囲に温度差を感じることが多々あります。昔は良かったとか、自分以外の誰かが悪いといったことを言うつもりはありません。それはカッコ悪いので。
 私はただ、少しくらい輝いてみたいという一心で、日々、仕事をしています。


2015年12月13日日曜日

「やるべきこと」と「できること」

 インターネットでニュースを見ていたら、COP21の話がでていました。地球温暖化の対策として、CO2の排出規制をするといった話でしょう。そういえば、京都議定書が締結されたのは、1997年のことなので、それからずいぶん経ちます。今後もこうした議論は続いていくのでしょう。

 温暖化を防止するために、地球の環境を人間のエゴで破壊しないために、対策を行う、というのはやるべきことだと思います。ですが、「やるべきこと」と「できること」は違います。

 どんなに「やるべきこと」でも、実際には「できないこと」もあります。「やるべきこと」を延々と議論しているだけでは意味がありません。「できること」を、少しずつでも、実行していくことに意味があります。

 話は変わりますが、日本の財政再建もやるべきことです。異常な借金状態から脱却しないといけません。「やるべきこと」なのは明白ですが、何が「できること」なのかは難しい問題です。

 たいていの場合、何ができるかを理解しているのは、現場の人間です。現場を知らない人間は「やるべきこと」を議論して、現場の人間は「できること」をやります。「やるべきこと」を議論している人間は、往々にして、机上の空論に走ります。「できること」をやる人間は、そういった無理な空論に振り回されることがしばしばです。
 (私は、どんなことでも現場の意見を尊重すべきだと思っています。だからこそ、自分が現場にいないのであれば、あまり口をはさむべきではないとは思っています。)

 最近、会社で「これはやるべきことだから、やろう」という発言をする人がいました。現場を見ないでそういう発言をする人が社会にはよくいると思います。非難する気はありませんが、私自身は現場で「できること」をやる人間でいたいと思っています。


 というわけで、私は今日もエアコンを切って、節電に務めています。できることから一歩ずつ。


参考:京都議定書

2015年12月6日日曜日

自分の気持ちを考える

 人の気持ちというのは分からないものです。他人の気持ちが分からないという話はよくありますが、私が思うに、自分の気持ちもよく分からないものです。

 おなかが空いたときに目の前にアンパンとクリームパンがあったとして、自分はどちらを食べたい気持ちなのでしょうか? 「アンパン食べたい度」が70で、「クリームパン食べたい度」が50、といったように数値化できれば簡単ですが、そうはいきません。さんざん迷ってからアンパンを一口食べたら、やっぱりクリームパンにすれば良かったなんて後悔したり。

 気持ちというのはころころ変わってしまうものです。仮にある瞬間の気持ちを脳波かなんかで測定しても、次の瞬間に変わってしまうのであれば、測定に意味がありません。物理学的には測定できないものは存在しないのと同じです。気持ちと言うのは、定量化できない、よく分からないものです。

 ちなみに、私はこの例えをアンパン・クリームパン問題と呼んでいます。(^o^)


 自分の気持ちですら分からないのだから、他人の気持ちが分からないのは当然です。「他人の気持ちが分からない」と言って悩むのは時間の無駄なので止めましょう。


 気持ちというのは、よく分からないものなのですが、人間の行動はなんだかんだで気持ちに左右されます。だからこそ、相手の気持ちを考えるというのは大事なことです。同様に、自分の気持ちについても、よく分からないものなのだから、それを考えるというのは大事なことだと思います。

 自分の気持ちを考えるというのは、「自分を客観的に見る」ということです。自分を他人化して、「どこかの誰かが自分の状況だったら、どのような気持ちになるか」を考えるということです。

 例えば、サラリーマンが上司から「君はどうすれば役に立つんだろう?」なんて言われたら、どう思うでしょうか?
 自分がそう言われたときに、自分ではない誰かがそう言われたらどう思うか? 上司はどう思ってそう言ったか? 冷静にかつ客観的に状況を分析するために、自分を他人化して気持ちを考えるというのは、一つのやり方だと思います。

 なお、私がこれを言われたのはずいぶん前です。私には、さぼっている気はなかったのですが、上司から見ると役に立っていなかったのでしょう。このとき、自分がどういう気持ちになっているべきだったのかは、今でも分かりません。


 以上、「自分を他人化する」という言葉を、ふと考えたので、今回はそんなコラムを書いてみました。