2013年2月11日月曜日

オブジェクティブ指向


 オブジェクティブ指向とは、ソフトウェア開発のオブジェクト指向という言葉をもじった私の造語です。要は目標を持って行動しようということです。

 目標は具体的でイエス、ノーで判断できるものでなければなりません。例えば「**大学に合格する」とか、「**の資格を取得する」とかです。「景気を回復する」なんていう目標はダメです。どうすれば達成されたかの判断基準が不明確だからです。

 私の経験上、具体的な目標が決まると効率良く行動できます。例として、「**大学に合格する」という目標を立てたとします。たいていの試験では、過去問を8割くらい正答できれば合格できるでしょう。そうすると過去問をどのくらい勉強すれば良いかが決まります。自分の苦手な科目があれば、その科目の参考書を1冊勉強するという小目標も付け加えます。このように大目標から小目標に細分化して、一つずつ攻略していけば、効率良く目標を達成できるはずです。まぁ失敗することもあると思いますが。

 ちなみに、男性は一点集中を得意としているので、こういうやり方が効果的です。

 やりたいこと、やらなければいけないことが沢山あってどうしていいか分からない、そんな時は、具体的な目標を決めて、それを目指した行動計画を考えると良いと思います。これがオブジェクティブ指向です。

経済成長


 ここ数年、政治家は景気回復を目指すことを声高に叫んでいますが、そもそも景気回復とはどういうことでしょうか? これもまた政治家がよく言う、持続的な成長とはどういうことでしょうか?

 株価が上昇することでしょうか? (どこぞの大臣が言っているように)
 GDPが上昇することでしょうか?
 インフレ(通貨供給量の増大)となることでしょうか?

 私は、株価やGDPといった経済指標の上昇は、本質でないと思っています。極論すれば、これらの経済指標は人為的に操作できます。「明日から、1円を2円にします」とすれば、株価もGDPもすべて倍になります。中身は全く変わらなくとも。

 またGDPは人口に左右されます。GDPの成長のために人口増加を狙うのは、間違いではありません。でも地球に住める人口は、際限なく増える訳にはいきません。人口増加には限度があります。人口増加 → GDPが上昇 → 景気回復という図式はいつか破たんします。

 株価やGDPは経済を評価する指標として有効ですが、絶対ではありません。トヨタより株価が低くても、その会社が悪い会社というわけではないはずです。人口が少なくても、社会が貧しいというわけではないはずです。

 私は、経済成長と「株価やGDPの上昇」を同義として考えるのは間違っていると思います。安易に「株価やGDPの上昇」を目指すのではなく、目指すべき豊かな社会とは何かを、きちんと考え直した方が良いと思います。

(そんなのんきなことを言っていると、中国、韓国に負けてしまうと言われてしまいそうですが。)

人口減少社会とGDP


 以前のコラムに書いた「規模の経済」についてのさらなるお話です。

 基本的に会社や国家の生産量は規模に比例するものです。規模が増えれば生産量は上がり、規模が減れば生産量は下がります。社員の多い会社ほど、国民の多い国家ほど、生産量は大きいはずです。

 例えばの話、ある国家がそっくりそのまま2倍になったとします。人口も国土も2倍です。そうすると中身は全く同じ国家ですが、生産量は2倍になっているはずです。物理の言葉で言うと、生産量は示量変数です。

 もちろん、生産量を決める要因は規模だけではありませんが、規模は生産量を決める重要な要素です。

 ところで、これからの日本は人口減少社会になると言われています。少子高齢化が続けば、当然、人口減少に帰結します。人口が減少するということは、生産量も減少するはずです。国家の生産量をGDPで測るなら、将来、日本は人口が減少してGDPが減少する、と予測されます。

 GDPの成長が国家の発展であるとするなら、これからは国家の発展は難しくなると言えます。もしかしたら、「一人当たりのGDP」を基準に国家の発展を考えた方が良いのかもしれません。