2012年12月9日日曜日

名探偵達への回想 (2011/10/16)


2011/10/16のコラムです。

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 思うに私は読書好きな少年だった。江戸川乱歩の怪人二十面相や少年探偵団のシリーズが好きで、小学校の授業中に隠れて読んで先生に怒られたのを覚えている。その時は、怒られていることに気付かないほど熱中して読んでいた。

 古今東西、名探偵と言えばやはりコナン・ドイルのシャーロック・ホームズだろう。彼はあらゆる面で完璧な人間だった。常に沈着冷静であり、すぐれた知識、洞察力、強靭な肉体を持ち合わせていた。ヒーローにあこがれるのは子供の常だが、私にとってのヒーローは間違いなくホームズだった。ホームズは今の私の性格にも多大な影響を残している。

 子供の頃、私が読んでいた江戸川乱歩先生シリーズの名探偵と言えば明智小五郎だ。明智もほぼ完璧な人間だが、明智は優れた常人であり、ホームズは人間離れした超人だった。明智には人間的な感情があったが、ホームズは感情を切り離していた。どちらかと言うと、明智よりも怪人二十面相の方が超人に近いだろう。怪人二十面相の前代未聞、奇奇怪怪な犯罪に、幾人の子供が驚嘆したことだろうか。かく言う私もその一人なのだが。

 アガサ・クリスティのポワロも名探偵の1人だ。ただ誰もいなくなってしまうせいか、私にはあまり思い入れがない。超人であるホームズを知っていた私からすれば、ポワロは普通の人間にしか見えなかったのかもしれない。

 日本の名探偵では横溝正史先生の金田一耕介も忘れてはならない。だが子供にはあまりお薦めしない。人が死にすぎるからだ。「八墓村」を読み進めていくと、次は誰が殺されるだろうかと思わずにはいられない。青少年向けに書かれた乱歩先生の作品では、人が死ぬことは少なかった。横溝先生の書く舞台はオカルトチックで異常な世界であり、そこには少年探偵団が活躍する場はなかった。

 名探偵と言えば怪盗が必要になってくる。怪盗と言えばルパンだが、残念ながらモーリス・リュブランの小説にはホームズほどの知名度がない。ルパンといえば、テレビアニメのルパン三世のイメージがある人が多いのではないだろうか。名探偵に比べて名怪盗の小説が少ないことは実に残念なことだ。

 インターネットで面白い推理小説を探していると、エラリー・クイーンの「Yの悲劇」に行き当たる。「Yの悲劇」はその犯人の意外性から名作の呼び声が高い作品だ。推理小説をいくらでも読める現代人の私にとってはあまり意外な犯人ではなかったが、出版された当時では大変に意外な犯人だったのだと思う。
どちらにしろ推理小説好きなら一読をお薦めする。

 近年の推理小説の中でははS.J.ローザンの「ピアノ・ソナタ」が抜群に優れている。この作品は実に現代的な作品だ。舞台は老人ホームであり、現代社会の影の部分が実に見事に描かれている。それはまるで城山三郎の経済小説のごときリアリティと言える。ホームズや怪人二十面相ばかりを読んでいた私にとって、この現代性は新鮮な驚きだった。これほどまでに現代社会にマッチした推理小説を私は他に知らない。

 ここまでは推理小説の話ばかりだったが、TVドラマにも数々の名探偵が登場する。先日亡くなったピーター・フォーク演じるコロンボも有名な名探偵だった。TVの洋画劇場のコロンボシリーズを、私はいつも楽しみにしていた。犯人は犯罪がばれることに怯えながらも、どこか自分は捕まらないという自信を持っている。しかし最後には犯人も気づかなかった意外なところから犯罪が明らかになる。パターンは決まっていても、最後にはいつも「あぁ、そういうことだったのか」と納得させられた。コロンボ警部はホームズのように完璧な人間ではないが、チャーミングな名探偵だったと思う。

 古畑任三郎も私が好きな探偵の一人だ。毎回、さすがは三谷幸喜先生という脚本の面白さがあった。ある事件で、犯人が惜しげもなく高価な茶碗を割ったことについて言った 「ものの価値とはそういうものですよ」 と言うセリフは非常に印象に残っている。

 以上、私の推理小説に対する思い入れを書いてみた。ちなみに文体はホームズの小説っぽく翻訳風に書いてみたのだが、伝わっただろうか。


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