2015年4月4日土曜日

多数決と数の暴力

 多数決は民主的に集団の意思を決定する方法です。政治の世界だけでなく、ビジネスや学校などでも多数決で意思決定をすることは多いと思います。

 ところで、集団における賢さは正規分布をしているでしょう。つまり、極端に賢い人間や、極端に愚かな人間は少なく、大多数はそれなりに賢く、それなりに愚かな人間です。

 ということは、極端に賢い人間が考えた賢い意見というのは少数派です。少数派の意見は、多数決により否定される可能性があります。残念ながら、大多数の人間が賢い意見を理解するとは限りません。(これは、いわゆる民主主義の弊害というやつです。)

 賢い意見が採用されないなら、その意見を提案した人はどう思うでしょうか?
私は極端に賢い少数派ではありませんが、それでも、一生懸命考えて、いい意見を提案したのに、採用されなかったら、落ち込みます。打ちひしがれます。
多数決は、賢い意見を提案した人の心を傷つける可能性があると思います。まさに数の暴力です。

 こういった数の暴力で、賢い人間の心が傷つけられ、加えて集団が賢い意見を採用しないというのでは、何もいいことがありません。数の暴力による失敗を起こさないために、少数派の意見でもそれを正当に評価できるよう、私達、個々人が、賢くならなければいけないのだと思います。


・・・なんてことを、ふと思いました。


参考:wikipedia 多数決

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