2015年12月6日日曜日

自分の気持ちを考える

 人の気持ちというのは分からないものです。他人の気持ちが分からないという話はよくありますが、私が思うに、自分の気持ちもよく分からないものです。

 おなかが空いたときに目の前にアンパンとクリームパンがあったとして、自分はどちらを食べたい気持ちなのでしょうか? 「アンパン食べたい度」が70で、「クリームパン食べたい度」が50、といったように数値化できれば簡単ですが、そうはいきません。さんざん迷ってからアンパンを一口食べたら、やっぱりクリームパンにすれば良かったなんて後悔したり。

 気持ちというのはころころ変わってしまうものです。仮にある瞬間の気持ちを脳波かなんかで測定しても、次の瞬間に変わってしまうのであれば、測定に意味がありません。物理学的には測定できないものは存在しないのと同じです。気持ちと言うのは、定量化できない、よく分からないものです。

 ちなみに、私はこの例えをアンパン・クリームパン問題と呼んでいます。(^o^)


 自分の気持ちですら分からないのだから、他人の気持ちが分からないのは当然です。「他人の気持ちが分からない」と言って悩むのは時間の無駄なので止めましょう。


 気持ちというのは、よく分からないものなのですが、人間の行動はなんだかんだで気持ちに左右されます。だからこそ、相手の気持ちを考えるというのは大事なことです。同様に、自分の気持ちについても、よく分からないものなのだから、それを考えるというのは大事なことだと思います。

 自分の気持ちを考えるというのは、「自分を客観的に見る」ということです。自分を他人化して、「どこかの誰かが自分の状況だったら、どのような気持ちになるか」を考えるということです。

 例えば、サラリーマンが上司から「君はどうすれば役に立つんだろう?」なんて言われたら、どう思うでしょうか?
 自分がそう言われたときに、自分ではない誰かがそう言われたらどう思うか? 上司はどう思ってそう言ったか? 冷静にかつ客観的に状況を分析するために、自分を他人化して気持ちを考えるというのは、一つのやり方だと思います。

 なお、私がこれを言われたのはずいぶん前です。私には、さぼっている気はなかったのですが、上司から見ると役に立っていなかったのでしょう。このとき、自分がどういう気持ちになっているべきだったのかは、今でも分かりません。


 以上、「自分を他人化する」という言葉を、ふと考えたので、今回はそんなコラムを書いてみました。








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